本日午後22時過ぎ、無事に帰宅しました。
今回の取材行は、本当に色々なことがあり、良い経験ができました。
近いうちに、ガランバフォレストでの番外編を含め、総括編をアップしたいと思います。
本日午後22時過ぎ、無事に帰宅しました。
今回の取材行は、本当に色々なことがあり、良い経験ができました。
近いうちに、ガランバフォレストでの番外編を含め、総括編をアップしたいと思います。
前線への食料補給が終わったヘリに運び込まれる、死亡したゲリラ
二泊三日の取材を終えて、本日の午後、無事にカンパラに戻ってきました。
ガランバ・フォレストでの取材は、非常に良い経験になり、且つ、いろいろなことを考えさせられる貴重なものになりました。
諸事情により、現地滞在中の私はジャーナリストではなかったので、メインの一眼デジカメは使用できないなど、いくつか制約はあったのですが、「前線へ食糧配給を行う部隊への同行」や「救出直後の子ども兵士の撮影・インタビュー」など、現在のLRA(神の抵抗軍)と子ども兵士がおかれている環境を知ることができる、非常に希有な取材をさせてもらえました。
もちろん全てを見せてくれていないのは重々承知の上で、一歩間違えると国際問題にまで発展しかねないリスクを負いながら、私のわがままを聞いてくれた関係者の方々に本当に感謝します。
今回の貴重な取材は、何らかの形で発表したいと思うので、詳細が決まりましたら改めてHPにて報告したいと思います。(実は発表方法にも、制約があるんです。なぜならある関係者によると、ウガンダ・DRコンゴ・スーダンの三国合同作戦が開始された昨年12月以降、現地にジャーナリストを入れることは禁止されているとのこと)
さて、いよいよ一ヶ月にわたる取材を終えて帰国を残すのみとなりました。というより、本来ならすでに今日、件のカタールエアで日本に向かっていなければならないのですが、残念ながら昨日ガランバ・フォレストに迎えの飛行機がこなかったため、まだウガンダにいます。
昨日・一昨日と、ホテルでひたすら電話とにらめっこをして過ごしました。
が、残念ながら一向に連絡がこず、イヤな予感がして本日の朝、ジェネラルに電話をしてみたところ、「あぁ、そういえばそんな話が…」というリアクション。(滅茶苦茶忙しそうなので、私のことなど忘れて当然なのですが)
「今年の流れは止まらないのか…」と、一瞬がっくりと肩を落としたのですが、「ちょっと待ってて。すぐに折り返すから(とても紳士な言葉遣いな方で、私の中で日本語に訳すとこんなイメージ)」と、ちょっと希望を持てる回答が。
そして数分後。着信音がし、液晶にはジェネラルの名前が!
「いまからすぐに私のオフィスにこれるかい?」
「もちろんです!!」
「じゃあ急いできておくれ。軍司令部まで案内する者をつけるから」
押っ取り刀でジェネラルのオフィスに向かうと、「軍司令部には話を通しておいたから、詳細は向こうで詰めてきて」とのありがたい言葉。
感謝の言葉を述べつつ、その足で軍司令部に。
ナイル川にかかるカルマ橋からの眺め。以前はLRAによる襲撃が予想されるため、18時以降の往来が禁止されていたが、現在は24時間通行可能になった。(本文とは関係ありません)
本日の昼。未登録番号からの電話。
「まさか?!」と思いながら出ると相手は、ジェネラルご本人。
緊張しながら、「ガランバ森林で行われている『ライトトニング・サンダー作戦』にウガンダ軍と同行したい」旨を伝えると「OK。アレンジするよ」とのこと。
これは行ける可能性がグッと高まってきたような気がします。
が、問題は時間…。
果たして、間に合うのか!?
今度は時間との戦いになってきました…。
入隊試験に場違いなTシャツの志願者(本文とは関係ありません)
やはり、切り札の力は凄かった。
なんと相当な権力を持つ方の兄弟で、過去大臣も務めたことのあるジェネラル(将軍)を紹介してくれました。
ただ相手はジェネラル。
そう簡単に会えるわけもなく、現在先方からの面会時間指定待ちです。
切り札の方は結構仲が良いらしく、丁度昨夜も一緒に夕食を過ごしたとのこと。わざわざジェネラルに直接電話をかけてくれたので会えることは間違いなさそうなのですが、いつ会えるかにより、残り時間との戦いになりそうです。
とりあえず本日はもう電話がこなさそうなので、明日来ることを待ちつつ、何があっても良いように軍広報責任者に言われたとおり、作戦地域となっているコンゴ民主共和国のビザだけは明日のうちにとっておこうと思います。
起死回生となるのか、やはりこの流れには勝てないのか、こうご期待!
突然とスコールと雷雨(手持ちで1分のバルブ撮影なので、ブレブレです)
本日首都カンパラに戻ってきました。
それにしても、今年は本当に凄いです。何がって残念ながらタイトル通り「不運」がですが…。
現地で会った日本人の方々には、毎回ネタとして自慢げに語ってしまっているのですが、緊急着陸で始まった今回の流れはグル滞在中も変わることなく続きました。
以下、道中での車両故障で始まったグル編です。
グルに到着して早三日。グル内部の取材に関しては、軍関係者との交渉はうまく運び、本日はウガンダ国軍入隊試験を取材させてもらいました。
まあ外国人ジャーナリストに取材を許可するだけあって、本日の入隊試験は非常に公正で厳しく、とても常識的なものでした。(これが全てではないと思いますが)
また現在ウガンダ北部地域広報担当大尉は、以前に何度か会ったことがある人だったため、色々と情報をもらい、今回の最大目的地であるLRAが潜伏しているガランバ森林に行ける可能性が出てきました。
後は明後日、首都カンパラに戻ってから軍本部との交渉次第です。
ジャーナリストと名乗りながら、何もジャーナリストらしいことを伝えていない今回の取材記。
旅行ライターという職業だったら、結構面白いんではないかと思う今日この頃です。(ただの愚痴のような気もしますが)
まだまだ私の好調は続いていました。
以下、疲れたので簡単に報告。
ちょっと高級なホテルのカフェ。
今日は早起きです。
なぜなら本日、北部に移動するからです。
一年半という時間は思ったよりも長く、キーパーソンとなる予定だった人たちが異動していたり、数日前に内閣改造などがあったりして、このまま首都・カンパラにいても状況に変化かない可能性が高いので、とりあえず一度、当初の予定通りの日程でウガンダ北部に行くことにしました。
到着後は、ウガンダ軍北部地域広報責任者や現地新聞記者などに会い、随時調整を進めていく予定です。
話によると北部のホテルでも無線LANが設置されているところがあるとのこと。
今までは毎回ネットカフェに足を運んでいたのですが、停電などで使用できないことも多々あったため、今回は念のためウガンダで最も新しいデータカードも新たに購入したので、現地から問題なレポートを届けられる予定です。
(ウガンダでも普通に使えるという話で買ったケニアのデータカードが、実際は非常に繋がりづらかったため)
いよいよ今回の取材も終盤に差し掛かりつつあります。このままだと単なるアフリカ旅行になってしまうので、そろそろプロらしい仕事をしっかりしたいと思います。
ルワンダからウガンダへ向かう機上より
16日にルワンダを発ち、同日無事にウガンダに着きました。
しかし、まだトラブルは続き、まずは関税で
「なんでお前はこんなに電源コードをたくさん持っているんだ!」
「だって、機材ごとに充電器やアダプターが違うから仕方ないでしょ?」
「そんなことは知らん。怪しいやつめ、いまオフィサーが来るからここにいろ!」と足止めをくらい。
(幸いオフィサーが少し遠いところにいて面倒だったらしく、そのまま解放)
1年4ヶ月ぶりにあったコロンベは、驚くほど身長が伸びていた。
先週末の土曜日と本日(15日)、我が娘・コロンベ宅を訪問してきました。
コロンベとの出会いは11年前。キガリ(ルワンダの首都)の町中にあったTOFU屋の取材が始まりです。
当時、色々と重すぎるルワンダの過去と現実に打ちのめされていた私は、今後どのようにルワンダの取材を続けていけば良いのか深く悩んでいました。
そんな時、偶然取材することになったTOFU屋で、その女主人に引き取られ育てられていた戦災孤児のコロンベと出会い、その屈託のない笑顔を見た瞬間、「この子の成長を通して、ルワンダという国を見続けていこう」と思いついたのです。
以来11年間、勝手に娘だと思いこみ、毎年彼女に会うのを楽しみにルワンダを訪問しています。
さて、1年4ヶ月ぶりの再会となる昨日は、偶然にもバレンタインデーでした。
前回訪問時は12歳だったコロンベ。
「今年は14歳。日本だともう中学2年生だし、今までみたいに文房具とお菓子のプレゼントというのも、そろそろ卒業かな。しかも今日はバレンタインデーだしなぁ」と散々迷ったあげく、白とオレンジの花柄のワンピースと花を手に彼女の家に向かいました。
(ご存じの方も多いかと思いますが、日本とは違い世界的には男性から女性に花やプレゼントを送るのが一般的です)
ゴリラトレッキングのパンフレット
一昨日、ルワンダに無事着きました。
が、空港到着早々強烈なスコールに歓迎され、昨日・本日とも定期的に雷を伴う雨に見舞われています。
そのため、当初はマウンテンゴリラの撮影を予定していたのですが、ここ最近のツキのなさを考え、今回は見送ることにしました。
実はマウンテンゴリラの撮影は、結構ギャンブル的な要素が強いのです。
ゴリラトレッキングをする際には、「ゴリラの前で食べ物を食べてはならない」とか、「写真を撮るときフラッシュを使ってはならない」とか、いくつかルールがあります。
そしてその中にある「7メートル以内に近寄ってはならない」というルールが、ゴリラの撮影を非常に難しいものにしているのです。
写真が好きな方はよく分かると思いますが、撮影をする時に「被写体が動かず、さらに撮影位置も固定」という制約があると、レンズを望遠と広角に切り替える位しか構図に変化をつける方法がありません。
まさしくその条件の下、行わなければならないマウンテンゴリラの撮影。
さらに7メートルという距離の制約があるため広角レンズはほぼ使えず、晴れている時でさえゴリラが活発に動いてくれず昼寝をしたりすると、常に同じ構図の写真しか撮れません。
10時半にはチェックアウトしなければならないため、現在はホテルのテラスで作業中。
本日の夕刻、ケニアからルワンダに移動します。
色々貴重な経験が出来たのは良かったのですが、日程的には予定の3日遅れです。
今回、メインの取材として出発前に考えていたのは、長年続けているウガンダの子ども兵士問題関連として、現在コンゴ民主共和国内にいるLRA(神の抵抗軍)か、ここ最近「海賊問題」でたまに耳にするソマリアの首都モガディシュを6年ぶりに訪問するか、のどちらかでした。
無事に到着したスーツケース
土曜日の午後、充電器や接続コード・服・おみやげなどが入った大切な大切なスーツケースさんが何とか無事に到着され、早速すべての機器を充電しました。(詰めていた荷物はすべて無事でした)
もっともホテルまで誰かがスーツケースさんを連れてきてくれるわけもなく、空港スタッフに「届いてないから、明日また電話して」と面倒くさそうに言われたにも関わらず、一縷の望みをかけてタクシーを雇い、往復一時間半かけて自分で空港までお迎えに行ったのですが…。
とにもかくにも、カタールエア、毎日ナイロビまで飛んでいて本当に本当に良かったです。
「Rush」の文字が虚しい…
しかしその一方で、大黒柱のスーツケースさんとは合流出来たものの、緊急着陸とロストバゲージで失った時間は48時間。
元々の予定では出発した翌日の5日(木)・午後2時頃にはナイロビに到着し、翌金曜日にビザの取得やある程度の情報収集をすませ、必要があれば本日(10日)を使い、すぐに次の目的地ルワンダに向かう予定でしたが、金曜日の午後3時過ぎの到着だったため、まったく何も予定を消化できないまま1週間が経ってしまいそうな気配です。
が、さらにその一方で、初の緊急着陸、中国初訪問、人生で一番豪華なホテル宿泊、初ロストバゲージと、わずか数日でこれだけ刺激的なことに出会えたのは、なかなか経験できることではないので(講演時にいつも冒頭でするクイズのネタにもなりますし)、今となっては結構ラッキーな気がしています。
さてさて、やっと体勢も整ったので、緊急着陸からドーハの超高級ホテル宿泊までを写真でお伝えします。
(事故の詳細は時事ドットコムでニュースになっていたので、そちらをご覧ください)
昨日、「私の体」は無事に本来最初に訪問する予定の国・ケニアに到着しました。
なぜ「私の体」かというと、充電器や接続ケーブルなどを詰め込んだスーツケースは、まだどこかの空をさまよっているからです。
ほぼすべてを電子機器で固めた私の取材は、電気や充電器がないと、もうそれは悲惨なものです。
電気がない場所に行くこともあるので、それに対する対策はしていたのですが、それらのすべてもスーツケースの中。
もう手も足も出ません。
昨日あたりから機内持ち込みにしていたカメラやPC、携帯電話が次々と力尽きています。
なんとか今日の便で届くことを祈りつつ、今から空港に行ってきます。
予定通り2月4日の夜、なんとか日本を出発しました。
が、本来ならすでにナイロビに着いているはずなのですが、いま私はカタールの首都ドーハにいます。
なぜなら、一昨日夜、関空からドーハに向かい出発した機体に深刻な故障が発生し、中国の西端に位置するカシュガルという町に緊急着陸したからです。
そして先ほどやっとドーハに着いたのですが、ナイロビ行きの便は明朝までないため、本日はドーハ市内の高級ホテルに宿泊中(もちろん航空会社持ち)です。
詳しくは明日ケニアに着いた後報告しますが、出発早々思わぬ展開で、緊急着陸、ウイグル自治区、ドーハと想定外の体験をしました。
(ラッキーなのかアンラッキーなのかわかりませんが…。)